今日も体調はまずまずだった。昼過ぎに、いつものようにフリースの上にレザーベストを羽織って出かける。レザーベストのゲームポケットにはLGBTに関する新書とバルトの「恋愛のディスクール・断章」を忍ばせておいた。ユニクロのフリースがかなり暖かい。
夜に恵比寿で用事があったので、自由が丘で暇をつぶした。ブックオフで中山美穂の「白い薔薇の淵まで」を購入。今度書く、というか現在進行形で構想を練っている小説はLGBTを扱おうと思っているので、レズビアンやセクシュアルマイノリティの小説や解説書を集めている。そろそろ課題図書を決めきりたい。
現状上がっているのは下記のもの。
②砂川秀樹「カミングアウト・レターズ」
③砂川秀樹「カミングアウト」
④遠藤まめた「はじめてのLGBT」
⑤永易至文「LGBTヒストリー」
⑥牧村朝子「百合のリアル」
⑦河合祥一郎「『ロミオとジュリエット』恋におちる演劇術」
⑧西郷甲矢人、田口茂「〈現実〉とは何か」
あとはセクシュアルマイノリティの小説をちまちま読んでいこうと思っている。フェミニズムの本も読むか迷うけど、今回は置いておく。
参考文献の⑧に奇妙な本が入っている。おおよそLGBTとは無縁そうに見える。
圏論を現象学に応用するとどうなるか、という本なのだが、これは使えるような気がしている。
圏的な考え方は「境界」を扱う上で新たな視座を提供してくれるのではないかというのが私の目論見である。当ては外れるかもしれない。
ここで言う「境界」は自己/他者、マイノリティ/マジョリティなどなど様々な二分律の「/」を指す。ここには矢印があるのではないかという予感がしている。私たちは矢印の中で生きているのだとすれば、いや、矢印によって生かされているのであるとすれば、何を越えればよい人生(今回の小説ではよい恋愛?)と言えるのか。それを突き詰めていきたい。
カミングアウトは境界を越える行為のような気がする。別の意味では境界を作る行為でもある。それは射による新たな対象の生成であり、圏的に言えば構造の付加である。(同じ対象を持つが異なる構造を持つ圏への関手なので、対象の生成といったのは誤り)
反対に秘密を持つこと、保ち続けることは忘却関手の様なことなのかもしれない。
勢いでパパ活のルポ本を買ったのだが、今回の小説に活かすかは微妙なところである。興味本位で読んでみたい感じはする。他にも女性用風俗のルポ本もブックオフに置いてあり、買うかかなり迷った。今回は見送った。
ジムビームを買ってきて飲みながらこの日記を書いている。居酒屋で飲むよりおいしい。つまみにはクランベリーをチョコでコートしたもの。
今日から日記にサブタイトルをつけてみようかと思う。