欠落を埋めるだけのこと

なんとなく働き始めた時から気付いていたことがある。

人は「学び」というものを尊び、私にはその「学び」という感覚が欠けている。

どうやらみんなは「学び」を得ることで快感を得るようだ。

私にとって「学び」は得るものではない。

脳の報酬系がぶっ壊れてるというより、

訓練されてこなかったのだ。悲しいことに。

 

私は何かしら足りないと感じるものをただ埋めている。

より細かく言えば、現実世界で起きていることを解釈し、

自分の中の世界で再現するという過程に発生するエラーに対処している。

表現の道具が適切でなかったり、解釈がそもそもしようがなかったり。

そういった際に外の世界と内の世界を接続するために足りないものを埋めるのだ。

そういった場合は外の世界のほうが大きな集まりに感じられる。

 

だが、私の世界にはあって外の世界にないものもあるのだと思う。

ただ埋め続けるだけでいいのだろうか。自分の世界を広げるほうにも力を注いでいいのではないだろうか。

 

私は「学び」を欠いている。死ぬまで穴を埋めるだけの人生は送りたくない。

気持ちよくないし、楽しくないから。