ブログを見てくださる人へ

私のブログには月に一定の数の人が見に来てくださってるみたいです。

そのうちの多くはPTPの歌詞を読みに来られてるのかもしれない。

 

私はもう歌詞を訳すことができなくなってしまいました。正直に言うと。

Kさんが今も昔も何を考えていたのかはわからない。

ただ、前は曲を聞いたら何かが見えた気がしていて、

自分が弱いって思ってる人たちの背中を押したくて、

歌詞を訳していました。

私が見える何かがそういう役割を果たせると思って。

 

もし、この記事を見ている人が、PTPの歌詞を見に来たのならば、

あなたは自分の背中を押しなさい。人に背中を押されなさい。

みんな弱くて、あなたが強いと思っている人もどこか弱いのだから。

あなたは人を守らなくていい。人に守られていていい。

気が付かないうちに誰かを守っているだろうから。

あなた自身が自分を守ろうとすることで、それを見て救われる人がいるはずだから。

 

私は見えていたものが見えなくなったし、自分を守り切れなかった。

人に守ってもらうために、声を上げることができなかった。

でも、今この記事を見ているあなたは違う。

私は失敗したけど自分を守るために誰かを守ろうとした訳を読んで、

明日も、明後日も生きてください。それがあなた自身を守ることになれば、私は嬉しい。

多すぎて散らばった世界

恥ずかしい話、と私の母なら切り出すだろう。私は片付けというものを恐らくしたことがない。

中高生の頃、親元を離れて暮らしていた私の部屋はとてつもなく汚かった。ものが多く、足の踏み場がなかった。

幼いころから部屋の片づけは家族がしていた。自分の部屋にはいつもおもちゃや絵本が散乱しており、おもちゃ箱や本棚は空っぽだった。

朝に親が掃除機をかけるときや、一緒に遊んでくれた兄が部屋をできるときにしまっていたのだと思う。

 

高校生の頃に唯一整理されていたのはCDラックだ。音楽のタイプ分けられ、さらに中でアーティストのアルファベット順にアルバムを並べていた。

人生で私の作った最も整理した何かだと思う。

 

私の思考はとっ散らかっているらしい。順序付けたり、分類したりといった操作は行うけれど、それは細分や推論を広げるためのもので、まとめたり、締めたりするためのものではない。

 

私のノートもとっ散らかっている。大学生までのノートには右の三分の一が補足スペースとして用意されていた。そちらのほうが分量が多く、ページの6割が白いままなんてことがよくあった。

 

私はものを捨てられない。仕事で議論を進める際にパーキングロットというものをホワイトボード上に用意することがある。私はパーキングロットで、人にとっては雑多なごみ箱の中で私は生きてきたのだなと思った。

ものを捨てられない理由は三つある。一つ目は何がごみであるのか認識がうまくできないから。二つ目は私のごみは際限なく膨れ上がるものに見えて怖いから。最後は捨てるという行為がよくわからないから。

 

ゴミ捨てができる人間はすごいと思う。

紙に書く

出張先のホテルの最寄り駅に、無印良品が入っている。

そこで、私は単行本サイズのメモ帳とアルミ製の万年筆を買った。

私はボールペンで文字を書くのが苦手だ。日ごろからミミズのような文字を書く。

ボールペンは書いている時の紙との引っかかりがないから、

ミミズ文字がさらに流れて溶けたようになる。

 

タイピングするのとは違い、紙に文字を書いていると思考がいい具合に遅くなる。

なんだろう、身体からの返しを認識して処理しながら書くからだろうか。

 

出張先で特殊な何か面白いことがあったかといえばそうでもない。

ただ、紙に文字を書くようになっただけ。

あのメモ帳に書かれた言葉は自分の言葉だった。久しぶりに見た。

自分の言葉を失うことへの恐怖はまだあるけれど、

紙に書くことが対症療法になればいいなと思う。