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「エルフェンリート」の感想

こんばんは。

数学の記事を書くことを忘れていました。後日書きます。

 

今回は見終ったばかりのアニメ、エルフェンリートの感想を手短に書こうと思います。

wikipedia-エルフェンリート

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%88

 

マンガはだいぶ前に2巻くらいまで読んだのですが、ほとんど内容は忘れてしまっていました。なので、ほぼ初見といっても過言ではなく、端っから首ちょんぱするのはかなり強烈でした。

 

 

それはともかく、私なりの解釈と感想を書いていきます。

 

感想から述べると、グロくて最初は見ていられなかったのですが、話しの真ん中あたりからある程度慣れてきて、話を追えるようなってきました。そして、ちょうど、そこら辺から話が面白くなってくるので、けっこう楽しめました。終わり方も特に不満はありません。

気になったところは主人公のコウタのユカとルーシー(にゅう)に対しての「好き」という発言。

話としてハーレムを構成した方が面白いので、恋愛要素をいれるのはわかります。そんな中、ユカとルーシー(にゅう)どちらの方が好きなのかというのは最後まではっきりしない感じがしました。私の記憶が正しければ、ユカとにゅうには「好き」と言っていましたが、ルーシーには「大好き」と最後で言っていた気がします。これはルーシーを許してあげるために大が付いたのかもしれません。

 

コウタがなぜいろいろな女の子を助けてあげるのか。このことについても、私はよくわかりませんでした。

死んだ妹を重ねてみてしまったり、何もできなかった申し訳なさがあったからだったり、また自分がルーシーに妹を殺させてしまったという悔悟の念からだったり、いろいろと考えられると思います。

コウタに記憶がなかったことを考えれば、ただ人が良かっただけで、ユカの存在も手伝って、助けることに踏み出せているという感じもします。

ルーシーがいなくなった後、居候が増えてないのは、ルーシーを許すと同時に自分も許されたからとすれば、やっぱり悔悟の念が要因のように見えますが、不幸な少女がいつもそこいらにゴロゴロしているわけではないでしょうから簡単には断言できません。

ユカに関してはカナエとコウタの父が殺害されたことを知っているので、コウタが妹と重ねてしまっていると予想し、彼の行動を助けてあげていたみたいですね。

 

お話の解釈ですが、劣等感や差別についてが主だったのではないかと思います。当たり前の事を言っているといえばそうかもしれません。非現実的な存在であるディクロニウスを現実に置きなおして話を解釈していこうと思います。

ルーシーに関して考えるなら、にゅう、本能の声、そしてルーシーの三人について考えなければならないでしょう。

そうなのですが、私は本能の声は無視してもよいのではないかなと思っています。

それはなぜか。子供の時、ルーシーはコウタと別れたのちに、彼女は本能の声に従ってベクターウィルスをまき散らしていたようですが、その生殖行為自体が非常に不可解なものだからです。人類を滅亡させるなら、皆殺しにしてもいいわけです。なのにウィルスをばらまくのは、寂しかったから、仲間が欲しかったからなのではないでしょうか。人類を皆殺しにしてしまうと、彼女は本当に一人ぼっちになってしまいます。

ここから、現実においてだと、本能の声はルーシーの寂しさと劣等感とが混じりあってできた妄想と捉えられるのではないでしょうか。(アニメ内ではきちんと存在していますが)

何か嫌がらせをされたときに、仕返しの妄想をするというのはよくあるでしょう。それの延長線上にあるだけなのではないでしょうか。人類滅亡という大義名分を空想し、ルーシーが自分で言っていた「自分より不幸な存在」を作り出すための存在。人間と言う種族をバカにするような発言からそれが窺えます。

かえって、寂しさが優しさと結びついた存在がにゅうなのだと私は思います。

ルーシーは最初の孤児院のようなところから抜け出す際に犬を助けています。この犬を殺されたために、その優しさを忘れてしまっていたのかもしれません。

 にゅうは現実世界に置きなおしてみても存在できますので、妄想ではないと私は捉えます。人格として半分ほど確立されているようだから、というのも理由の一つです。(アニメにおいては)

結局は個人対個人のお話に落ち着くのではないでしょうか。ルーシーの行動の原理は劣等感とコウタに対する好意(また妹を殺してしまった悔悟)と思われます。好意を最後に受け止めてもらえたことで、またにゅうとしてもルーシーとしても居場所を得られたことで、彼女は優位や劣位という次元から離れることができたと。その次元にいる限りは「自分より不可能な存在」を必要としてしまいます。

なのでエンドロールでの人影はにゅうではなく、ルーシーだったと私は予想しています。(にゅうと人格を統合しているかもしれません)彼女が一年間戻ってこなかったのは居場所を守るためだったとも。楓荘に残ったままだと皆を争いに巻き込んでしまいますから。(5年あれば世界を滅亡できるというような発言をしていましたが、恐らく翌年に帰って来ていると思われます。つまり、滅亡させるために戦いはしていない)

 

他のキャラクターについてはどうでしょうか。少しだけ考えてみます。

ナナに関して、彼女を現実に置くならば、ルーシーとは別の迫害された人間と置けます。彼女はルーシーのように本能の声という妄想に目隠しをされそうになりますが、彼女は最終的に自分の手で自分の居場所を見つけています。

彼女は最初から、クラマと繋がることが出来ていたのが救いでしょう。現実世界で、学校でいじめられて、家に帰っても両親は自分に無頓着で、どこにも居場所がない。そんな子供がかなりいるのではないかと思われます。

ナナはそういう家族的な部分を描くためのキャラクターなのかもしれません。

対として出てくる、マリコも親の愛を与えられることで、ある意味で救われていました。

 

かなり雑に、まとまりも無く書いてきましたが、みんなが救われた、過去から解放されたのでいい終わり方だったと私は思います。

ではこれくらいで終わりにします。次はブレンパワードの感想を書くかもしれません。