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信念のパズルについて③

こんにちは。前回の続きを書いていこうと思います。前の記事(若干の訂正を加えました)を参照しつつ読んでいただけると幸いです。

 

―――――――――

第二部

ここでは、先に述べたように使用する二つの原理についての説明が行われている。

それは、「翻訳原理」と「引用符解除原理」である。前者は、

『「ある言語の任意の分がその言語で真理を表すなら、その文を他の任意の言語に翻訳したものも(その翻訳言語で)真理を表す。』(p323)

この原理の反例についての反例もあげられているが、そこはおいておこう。

後者は、

『「表明を差し控えたりしない正常な日本語の話し手が熟慮のうえで誠実に「P」に同意する傾向がある場合、かつその場合にかぎり、かれはPということを信じている」』(p320)

ここでは邦訳の関係上日本語となっているが、どの言語でもよい。また、「P」というのは普通の文である。

いろいろな限定がついている(正常、熟慮、誠実)が、些細なことだと思ってもらってよい。今回あげた「引用符解除原理」は強化版とされる方である。

 

ところで翻訳原理に関して、私たちが通常の意味で使う言語(日本語、英語、イタリア語等)だけではなく、前記事の終盤で述べた個人言語においてもこちらは使用されうるのだろうか。

 『他者を自分と同じ言語の話し手とみなすことはある意味で暗黙のうちに、かれの言語から自分の言語への同音翻訳を前提しているのである。(中略)もっと厳密な取扱いが必要になるのは言語の個人差が問題になるときだけである』(p323)……{11}

『ジョーンズとわたしがすべての名に同じ「意義」を付与しているのでなければ、厳密にいえば、われわれは同一の個人言語を共有していることにはならない』(p324)……{12}

上の二つの引用はフレーゲ主義が信念の文脈において、代入可能性の否定を導けないと説明する箇所にある。上の問いには、「消極的に使用される、もしくは、使用できない」と答えておこう。……{※2}

 

ジョーンズという名前が再度いきなり出てきて、内容がつかめないかもしれない。ジョーンズはこの箇所周辺で出てくる例における「他者」である。その例について簡単に触れておこう。

 ジョーンズは「キケロは禿だった」を信じているが、「タリーは禿だった」を信じていない(「タリーは禿でなかった」を信じている)。「キケロ」と「タリー」は同一人物の二つ名、つまり、共指示的な固有名である。この場合代入可能性の原理は否定されるのではないか(上の二つの文の「キケロ」と「タリー」を入れ替えてみるとよい)。このようなお話である。

この説明とは無関係だが、一つ予め引用しておこう。

『さてこのとき、かれは矛盾した信念を抱いている必要はないように思われる』(p323)……{13}

 

二つの原理の説明とフレーゲ主義の批判の後に、クリプキはパズルの下準備を始める。その直前の一文を抜き出しておく。代入可能性の原理について語っている。

『この矛盾はもはやジョーンズの信念における矛盾ではなく、われわれ自身のそれにおける矛盾である』(p327)……{14}

 では、議論を再び追って行こう。

『わたしは――そしてこれが本稿の核となるのだが――代入可能性の原理をまったく持ち出さなくても、信念の文脈においては名にかんするあるパラドックスが生じるのだという事を論証する。この論証は代入可能性の原理ではなく、一見あまりにも明白なためにこの種の論証ではふつう伏せられている引用符解除原理と翻訳原理に基礎を置く。』(p327)……{15}

『しかしながら、一つの言語だけでもある形のパラドックスが生じることを示すような例も挙げる。この場合はむろん引用符解除原理だけで話が済む(中略)この例では考察される人の知識状態が「キケロ」と「タリー」にかんするジョーンズのそれと「本質的に同じ」であることが、直観的に明らかであろう』(p327,328)……{16}

この引用部は大事なので覚えておいて欲しい。

本記事の目的はパズルの瓦解、もとい自壊である。

 

第三部

パズルの説明とそれに対して予想される反論を対処している。

まずは引用をしつつ、パズルの説明を行う。

『ピエールはフランスに住む正常なフランス話し手であり、フランス語以外は英語をはじめいかなる言語も一言も話せないとしよう。かれはフランスを離れたことがないけれども、(中略)かれはロンドンについて耳にしたことから、ロンドンは美しいと考えるようになる。それゆえかれはフランス語で”Londres est jolie”と言う』(p329,330)……{17}

『後にピエールは、幸か不幸か、イギリスに移住することになる。彼は実際にロンドンに移住するのだが、そこはロンドンの中でもまったく教養のない人たちの住む、あまり美しくない地区である。かれは周囲の大部分の人たちと同様、この地区から出ることはほとんどない。周囲の人は誰もフランス語を知らないので(中略)人々と話したり付き合ったりするうちに、かれはようやく英語が聞き取れるようになる。(中略)かれは、英語では、彼の住む都市を"London"と呼ぶようになる。先に言ったように、ピエールの住む地区はあまり美しくなく、実際何を見ても、かれはほとんど感動することがない。それゆえ彼は次の英文に同意する傾向を持つようになる。(5) London is not pretty.』(p331)……{18}

 『むろんそのときかれは、フランス語文"Londres est jolie"にたいする同意を撤回したりはしない。自分がいま住むきたない都市は当然かれがフランスで耳にした魅力的な都市とは異なるはずだと考えるだけである』(p331)……{19}

{17},{18}の文に引用解除原理と翻訳原理を用いるならば、「ピエールは「ロンドンは美しい」と信じている」と「ピエールは「ロンドンは美しくない」と信じている(もしくは「ロンドンは美しい」と信じていない)」」となる。

クリプキが言うにはこれはパズルであるという。翻訳原理によって、相反する信念が並置されてしまうためだ。

この後、彼は様々な解決法を提案し、その無力さを証明していく。その部分については、第一部と第二部の話を繰り返しのべているに近いので割愛する。

ただ、以下の部分のみは注目しておく。

『わたしの設定では、ピエールはフランスにいたとき"Londres"についてひと組の事実を学び、イギリスでは"London"についてのひと組の事実を学ぶことになっていたからである。そのため、ピエールは一方の組の性質を満たす都市は美しいと信じているが、他方の組の性質を満たす都市は美しくないと信じている、というのが「事の真相」であるかのように見えるわけである。』(p340)……{20}

『百歩譲って、いま述べたことが確かに「事の真相」を記述しているとしても、それはわれわれの最初の問題、つまり信念の文脈における名の振る舞いを解決してはくれない。ピエールはロンドン(かくかくの記述を満たす都市ではなく、ロンドン)が美しいということを信じているのか、それとも信じていないのか。これにたいする答えはまだ与えられていない。』(p340)……{21}

(個人的には割愛した部分で、消去されて残った「純粋」な性質と「固定指示子」が類似したものとなる話は面白い。だが、今回の話とは全く関係がない)

 

次に、翻訳原理を使わずに、引用符解除原理のみでパラドックスが生じる例を述べているが、{16}のようにほぼ同じ内容であるの省略する。

 

第四部

特にない。同じ内容をつらつらと書いているに過ぎない。

『パズルはあくまでパズルである』(p353)だそうだ。

 

以上が論文の要約である。字数の関係上大幅な省略を行っている。このことはご寛恕いただきたい。

ただし、これだけで十分パズルは瓦解するように私には思われる。

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④につづきます。