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信念のパズルについて②

三日ぶりです。

予定より遅れてしまいましたが、クリプキの論文「信念のパズル」についてのお話をしていきます。明日に信念のパズルについて③(長くなった場合は明後日に④)を載せるのでそれと合わせてどうぞ。(文章が少し固くなるかもしれませんが、ご容赦ください!あと、誤字脱字も!)

 

今回と③では論文の簡単な要約をしていきます。参照した文献は春秋社(2013),言語哲学重要論文集(1ed),p301~383「信念のパズル」(ソール・A・クリプキ)です。

以下の形式のカッコ内、例:(p301)は引用文のページを指します。引用文は『』内。

また、引用文や、本記事の文に通し番号を振ることがあります。

例:私は私である。……{1}

加えて、下線部による強調を行う場合があります。

 

考えながら書いていくのでとても雑然とした物になるかもしれませんがよろしくお願いします。(多分、長くもなります)

 ――――――――

プロローグを除くと論文は4つの部に分かれている。第一部ではクリプキがパズルを提出するに至った言語哲学の背景を、第二部ではパズルの説明に必要な原理を、第三部ではパズルについてを、第四部ではパズルから導かれる結論を、彼は解説している。

 

個人的な見解を述べるなら、第三部はほぼ必要ない(強いて言うなら第四部も)。また、最も重要なのは第一部だろう。これらのことには理由がある。おいおい説明をしよう。

 

ここでひとまず、彼の論文の冒頭に倣って、私も今回の記事の目的をあげようと思う。それは可能ならば「クリプキの論文内で矛盾を見つけ、パズルを瓦解させる」ことだ。故に、他の文献からの引用や、新たな概念導入は行わない。

 

また、本記事を書くきっかけとなった勉強会での発表内容には極力触れない。

では、手始めに要約をしていこう。

 

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 プロローグ(p301~302)

論文についての説明を行っている。少しだけ気に留めて欲しいのは最後の段落の文だ。『ある意味で、この問題は少しもパズルとは感じられないかもしれない。というのは想定されたある事態において、関連するすべての事実をある用語で支障なく記述することが可能だからである。しかし別の用語では、その事態に一貫した記述を与えるのは不可能であるように思われる』(p302)

 

 

第一部(p302~317)

 前述の通りの内容である。数日前の私のように言語哲学に触れたことのない方のために要約と説明を平行して行う。

 

クリプキは固有名(一般化を許すなら名)に関して、二つの主義、フレーゲ主義とミル主義の後者を擁護する立場をとっている。

前者は、固有名を定義する性質の記述(確定記述)によって、固有名は対象を指示すると主張する。この確定記述は「意義」と呼ばれる。

後者は、固有名は対象をただ指示する機能のみを持つという主張をする。(クリプキはこの機能を「固定指示子」をもつと言い換えている)

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参考図1:フレーゲ主義とミル主義の簡略なイメージ(対象を指示するものの違いに注目)

前者の問題点は各個人の結びつける「意義」が異なる場合、我々の会話が成立しなくなるのではないかというところにある(このことについては本記事での目的と少し外れるためあまり触れない)。これに対処すべく、意義は集合的な物であると主張する論者もいる。また、様相文脈における真理値(様相値、説明は後述)も変わるのではないかということもあげられる(こちらが本題となる)。

後者の場合は、共指示的な固有名(簡単に言えば二つ名)は文の真偽(論文中では様相値、もしくは真理値と述べられているが、必然的、偶然的という修飾語がつくだけであり、この区別が話を悩ましいものに、つまりパズルにしている)を保存できるのかということが問題となる。

 一つの原理の説明を先にしておく。共指示的な固有名が文の様相値・真理値を変えずに交換可能であることを、「代入(交換)可能性の原理」にしたがっているという。

 まずはフレーゲ主義に対しての例(批判的な例である)を引用してこよう。

 

『ジョーンズの一番好きな数がたまたま最小の素数であるとしても、「最小の素数は偶数である」は必然的真理を表すのにたいし、「ジョーンズの一番好きな数は偶数である」は偶然的真理を表す。それゆえ、共指示的記述は様相文脈において真理値を変えることなく交換可能であるとはいえないことになる』(p306)……{1}

後者の文を必然的だとする命題は偽となるが、クリプキはこの話の後で、読み方を変えることによって、真とすることも可能だと述べている。

『「ジョーンズの一番好きな数は必然的に偶数であるような数である」』(p306)……{2}

このような読み方を「事物関与的(de re)」な読み方と呼ぶ。このような読み方をしていけば、真理値が変わることはない。

しかし、クリプキが論文で取り上げたいのは「言表関与的(dedicto)」な読み方だと言う。最初に引用した例を用いるなら。

『「最小の素数が偶数であることは必然的である」は真であるのにたいし、「ジョーンズの一番好きな数が偶数であることは必然的である」は偽なのである』(p306)……{3}

 

次にミル主義の問題に関する例を引用する。

『「ヘスペラスはヘスペラスである」(中略)は必然的真理を表すのに対し、「ヘスペラスはフォスポラスである」(中略)は経験的な発見を、したがって一般的にそう考えられたように、偶然的真理を表すというわけである。(後者については、そうではないことが判明したかもしれないしそれゆえそうでなかったかもしれないというわけである。)』……{4}

補足しておくと、ヘスペラスもフォスポラスも金星である。昔は違う星だと考えられていた。二つの星の説明を含めた話は後で述べる。

 

ここで、大げさな物言いだが、クリプキの言質をとるために二つ引用を行う。

『信念の文脈についても同様である。この場合も、事物関与的な信念(中略)は本稿では取り扱わない』(p307)……{5}

 (本記事でも、論文でもそうだが、今のところはまだ、様相文脈についてのみを扱っている)

『そこで私論によれば、「ヘスペラスはフォスポラスである」は「ヘスペラスはヘスペラスである」とまったく同じ必然的真理を表す。(中略)「ヘスペラスはフォスポラスである」が真であることは、アプリオリに知られたわけではなく、適切な経験的証拠が見出されるまでは多くの人々がそうでないと信じていたかもしれない。しかしそのような認識論的問題は、私の考えでは、「ヘスペラスはフォスポラスである」が必然的かどうかという形而上学的問題から切り離されるべきである。』(p309)……{6}

この文章の後に、クリプキはこう述べている。

『私の考えからすると、共指示的な固有名は(形而上学的)必然性と可能性のすべての文脈において真理値を変えることなく交換可能であり、さらには共指示的な固有名の置換はいかなる文の様相値も変えないのである。』(p309)……{7}

 {6}は重要な文章である。そして、これから認識的文脈及び信念の文脈(命題的態度の文脈)について扱っていくわけだが、少し立ち止まって{1},{2},{3}を見てもらいたい。これらは様相文脈なのだろうか、それとも認識的文脈なのだろうか{※1}。この疑問を頭の片隅に置いて、話を進めていく。(残念ながら{2}について考えることは{5}には反する疑問にも思える)

 

 話を進めるとは言ったものの、論文内では少し戻ることになる。ヘスペラスとフォスポラスの話である。

『天文学者によってその二つの天体が同じものであることが示されるまでは、「ヘスペラス」を用いたある文が当たり前の信念を表現するのにたいし、それを「フォスポラス」で置き換えたものはそうではないという事実は、そのようなフレーゲ的立場による以外に説明のしようがあるだろうか。(中略)一方の様式は、ある天体を、適当な季節の夕方におけるそれの典型的な位置と外観によって決定し、他方はその同じ天体を、適当な季節の朝方における典型的な位置と外観によって決定する。(中略)この固定的指示が、どのような仕方で確定されるかに応じて、固有名はそれぞれ一種の「意義」を持つように思われる。そして「意義」(この意味での「意義」)のそのような違いによって、共指示的な名の交換可能性は様相文脈では成立しても命題的態度の文脈では成立しなくなるだろう』(p310)……{8}

『それゆえ、そのような説は様相文脈にかんしてはミルに一致するが、信念の文脈にかんしてはフレーゲに一致することになろう』(p310)……{9}

{8},{9}は続きの文章だが、長いので分けさせてもらった。

 この後、論文ではフレーゲ主義の最初にあげた問題点、会話の不可能性(「個人言語」という言葉で示している)から、{8},{9}を批判的に扱っている。これはミル主義を擁護する立場からの要請なのだろう。個別言語の問題は第二部以降に出てくる「翻訳原理」と重なりを持ってくるが、私の目的とは違うところの話であるため、これ以上は触れない。(そもそも、個人言語であるならば、パズルは生まれない。我々が、他者の信念を解釈することが原理的に不可能になるからである)……{10}

 

以上が第一部の要約である。

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さて、第一部の要約が終わりました。この中の知識だけでパズルは解けるのではないかと、私は思っています。続きは明日書きますね。残りの第二,三,四部の要約と、論駁をします。要約しながら、論駁は行う予定です。内容を考えながら寝ます。

 

おやすみなさい

 

追記:前の記事に書いた、凸多面体に関する証明で一部言及しなければならないところがありました。そこに関しての証明はまだ考え中です。帰納法を使った答案のところにミスがあります。わかったら書くのでよろしくお願いします。教えていただける方がいらっしゃいましたらご連絡いただけるとありがたいです。