『やる気のチップ』という考え方

こんばんは。

 

今日は備忘録です。

 

https://www.amazon.co.jp/%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%8B%E3%82%A2%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AE%E6%99%82%E9%96%93%E7%AE%A1%E7%90%86%E8%A1%93-Thomas-Limoncelli/dp/4873113075

 

以前、抑うつ状態にあったときに上記の本を読んでいました。

結局その時は実践できないままだったので、気分が上向きになった今、いろいろと試していこうかと思っています。

 

この本のなかのコラムで、『やる気のチップ』という考え方について触れられています。

そのことについてちょっと考えたことをまとめたものが、今回の記事です。

 

私はいろいろと考える・思いを巡らせるのは好きですが、いざやるとなるとなかなか行動に移せないタイプの人間です。

これはなぜなのか考えるうえで、上記の『やる気のチップ』が参考になりました。

 

よくいう「気力がわかない」というのを定量的に表すために、賭け事のチップに喩える感じです。

アクションを起こす=賭ける、としてその賭け金を必要な気力と見做します。

手持ちのチップ=持っている意欲・気力、なわけです。

気力がわかない状態というのは、『賭け金>チップ』という状態に当たります。

 

チップの増減についても個人的に考えてみました。

私の場合はチップは自然減少すると考えられます。もしくは賭けた=アクションを起こした際の満足度が低ければ、賭け金以下しか返ってこなくて収支でマイナスになります。

増加は満足度が高い場合か、何かの外的な刺激、例えば人とのふれあいだったり、読書や映画鑑賞などです。

 

うまくアクションを起こせるようになるにはチップと賭け金の両方を管理するのが好ましいです。

チップ自体を増やす・減らさないようにする。賭け金の額自体を小さくする。これらの処理がそれです。

チップを減らさないようにするというのは見返りを考えるのも一つですが、自然現象を減らすのも大事です。これは、私においては、息抜きがその役割を果たすと考えています。おいしいご飯を食べたり、酒を飲んだりです。

賭け金の額を減らす方法は、まさに前述の本で扱っているルーチン化によって可能になります。

 

以上のことを総合して、いろいろできれば、もっと動ける人間になるのかな、なんて私は考えていました、お風呂の中で。

 

細かいところは人によりけりで、適用出来なかったり、もっと具体的に考える必要があったりするのでしょうが、結構使える思考法なのではないのかなと思います。

 

今回はこんな感じで。

pay money to my pain / weight of my pride 和訳

 こんばんは。夢からの醒め方が分からなくなったので和訳です。

Weight of my pride 【LIVE PV】 Pay money To my Pain - YouTube

 

PTPで初めて聞いた曲だったような気がします。(here i'm singingだったかもしれない)

ガツンとアガる曲なんですけど、ストーリーを感じられる不思議な曲です。

 

では和訳をば

_______ 

 

rain's falling down and just darkens the ground:降りしきる雨がただただ地面を黒く濡らす

a sound that i've heard before but i'm not sure:いつか聞いたような音だけど、よくわかんねえ

you keep me away from the place where you've been:お前のいた場所には近づけさせてもらえなかった

but now i remember why you stay away from there:でも今なら、お前がそこから離れた理由を思い出せる

 

when you're falling to the ground, what do you see?:地に落ちていくとき、何が目に入るだろう?

your pride is going down with reality:現実に打ちひしがれても

you may try to stand up:立ち上がろうとするかもしれない

but you'll realize your dreams are gone:しかし、夢は去ってしまったことに気が付くはずだ

 

the weight of my pride:自負心という名の重荷

do i really need that?:そんなもの本当に必要なんだろうか?

 

you say we've talked before:前に話したじゃないかってお前は言う

i don't remember that:どうだったか思い出せないんだ

the weight of my pride has destroyed me again:あの重荷はまた俺を壊してしまった

but tell me :それじゃあ教えてくれよ

how does it feel when you tell a lie:嘘をついたときどんな気持ちだったのかを

so tell who's insane, is it me or is it you?:おかしかったのは俺なのか?それともお前の方か?

 

i know maybe i'm breakin down:たぶん俺はダメになっている

but it's real man, this is another part of me:それは生身の人間で、俺の別の部分だ

forget that everything you want me to say:言いたいことなんて全部忘れて

just leave me alone, don't trust me for now:俺を残して行っちまえよ。もう当てにしないでくれ

 

you say i'm crazy, but you're already fuked up:俺を狂ってるなんて言うけどさ、お前だってもうノビちまってるじゃねえか

face up yourself, but you can't cuz you're a liar:自分と向き合えよ、まあ嘘つきだからできないだろうけどよ

only thing you do is to run away from your truth:お前にできんのは真実から逃げることだけだ

big mouth, get your ass outta my town bitch:おしゃべりめ、ここから出ていけ

 

rain's falling down and just darkens the ground:降りしきる雨がただただ地面を黒く濡らす

a sound that i've heard before but i'm not sure:いつか聞いたような音だけど、よくわかんないな

you keep me away from the place where you've been:お前のいた所には近づけさせてもらえなかった

 

but now i remember that place:今じゃその場所を思い出せるんだ

is that in my mind?:俺の心の内にあるんだろ?

 

there is something that i miss in my life:俺の人生で失っちまったもんがあって

there's nothing left to save that's in side of me:俺の中にはもう守るもんなんて残ってないんだよ

i might try to understand:分かるために何とかしようと思うんだよ

then i'll figure out my dreams are here:そうすれば、自分の夢はここにあるってのに気が付くさ

 

 ______

 

★直訳っぽいところがすごく多くなってしまいました。

 

★youは誰なんでしょうか。PTPの歌詞で出てくるyouは本当に”あなた”だったり、過去の自分だったりです。今回は後者なのかなと思いますが、別の誰か、親しかった友達と読んでもスルッと解釈できると思います。

両立できる理由考えてみると、他人だろうが自分だろうが、youはすごく密接した存在で、自分の重なる部分が多い人だからなのでしょう。

私は和訳を作る前まで、youを夢を追いかけていた親しい友人だと捉えていました。

そのyouは夢をあきらめてしまって、語りかけてくるんです。「どうせ夢なんてかないっこないんだよ」と。

頑張ってたのになんで諦めてしまうんだよ!って憤る私と、夢に壊されてしまうかもしれない私を案じるyouとの行き違いの歌になるわけです。

youが自分自身でも大筋は変わりません。困難にぶち当たって諦めかけている自分と、まだ夢を追い続けたい自分がせめぎ合っている歌です。他人の場合と違って、youと私がどちらの立場にいるのかははっきりしません。どちらにも捉えられます。葛藤しているので、自分の立場は混在して境界が不明瞭になるのも仕方がないのかなと思います。

 

★"the place where you've been"がなんなのか。お前の居場所と訳してもいいのかなとは思いましたが、単に”居る場所”という感じがしなかったので、そのままにしました。

このplaceはすごく抽象的な場所な気がします。私は夢の在り処だと思っています。youが私を諦めさせたいのなら、そこから遠ざけるし、you自身も当然近づきません。

まだ夢を追いかけているyouの場合は、あきらめたのならどっか行け!と自分を追い出しているのでしょうが、出ていってしまった理由が私はわかりません。youは自分自身でもあるので、遠ざけた結果youも離れる羽目になるということなんでしょうか。

 

★曲のタイトルでもある"weight of my pride"の訳にすごく悩みました。プライドと一口に言っても、いろんなプライドがあります。

”自分の在るべき在り方”がそれだとは思います。それがいい風に自分に影響すれば自身になりますし、義務感を伴って自分を圧迫したり、縛り付けてしまえば重荷や枷になります。後者が"weight of my pride"なのでしょう。

前者は過去から伸びてくるもので、後者は未来から伸びてくるような気がします。始点も終点も不明ですが、その在り方が過去を参照していれば前者、未来を指向していれば後者という感じでしょうか。過去に支えられ、未来に押し付けられるというか、なんというか。両方の場合も当然ありますが。

 

★”real man”という言葉は、本来、真の男という意味です。それに引きずられて和訳の主語が俺になってしまっています。

「俺は男の中の男なんだから、やるって決めたらやりぬくんだよ!」のようなマッチョな私なのかもしれません。

それはそれでいいんですが、今回は”生身の人間”としました。私は私として存在していて、葛藤しているときに現れる複数の自分のどれも、存在する私の一部でrealなんだというニュアンスです。

stay real tourのMCでKさんが言っていたことを踏まえると、realはやっぱり"本来の”というよりは”ありのままの”という意味で捉えた方がいい気がします。

 

★最終的に私は夢を諦めてしまったのかどうか。

いろんなことを失ってきたことに気がつき、もう守るものもないような状態になってます。これはある意味でリフレッシュした状態になってるんだろうなと思います。

じゃあ、これからどうしようか。理解しよう、今の状況だったり、自分がどうしたいのかを。夢はどこか物理的な場所にあるような外的なものじゃないんだ。自分の心の内に在るんだから。

そうすれば夢はここにあるってことが分かるんだ。

ここってどこなのか、私にはまだわかりません。でもそれは、夢を諦める・諦めないといったような次元の問題ではないのかなと思います。

 

長くなってしまいましたが、今回はここら辺で。

 

 

 

本当に「1/3=0.333…だから1=0.999…」なの?

こんばんは。

今回は数学の話をちょっと。

 

「『1/3=0.333…だから1=0.999…』っておかしくないですか?」

と尋ねられることが今まで生きてきて複数回ありました。

この疑問に毎回その場で考えて答えるのも面倒なので、

今後のことも考えて簡単な説明をメモしておこうと思います。

 

答えから先に書くと

『”1/3=0.333…ならば1=0.999…”は正しい』

 

この問題をきちんと書くと

『1/3=0.333…ならば1=0.999…である』

という命題が正しいのかどうか?という問題になる。

二つに分解して

A:1/3=0.333…

B:1=0.999…

と置きましょう。そうすると

『AならばB』と問題を書き換えることができます。

 

よく耳にする意見は

『1/3=0.333…は計算したらそうなるから正しい。

だけど両辺に3をかけたら1=0.999…になって右辺は永遠に1にならないからおかしい!』……(※)

というもの。

これをさっきの記号で雑にあらわすと

『Aは正しくて、Aが正しいならBも正しい。でもBは正しくない』

 

これは論理的な取り違いが起きています。論理学で言う意味論と統語論の違いの様なかんじです。

(※)の「両辺に3をかけたら」というところに注目してみましょう。

C:x=yならばx*3=y*3

これをもちいて

AとCからBが導けます。

つまり、AとCを仮定するとBであるということになります。

Cは公理として扱うのであれば、落とせるので、

『AならばB』が証明できるということです。

これは統語論的な処理です。

 

それではAやB、AならばBが正しいのかどうか?という問題について考えます。

これは意味論的な問題です。

AならばBは、Cを認めるのであれば正しいです。これは納得できるところだと思います。

でもBは正しくないとみなさんは感じるようです。私もそうです。

意味論的に考えると、AならばBが正しく、Bが間違いであるとすると、必然的にAは正しくないということになります。(真理値から)

 

 

次に論理学ではなく数学の視点から考えてみます。

そもそも0.333…という無限小数は何を表しているのでしょうか?

たとえば、級数

Sn=Σ[(1/10)^n]*3

としてn→∞としたときの収束先を0.333…と表しているのだとすれば

0.333…=1/3は確かに正しいです。

このとき、Bについても同様に0.999…=1は正しくなります。

Tn=Σ[(1/10)^n]*9

としてTnの収束先は確かに1です。

無限小数の収束先を表していると解釈するならば、AとBがともに正しいというのが結論になります。

 

実は0.333…という物が単純に無限級数を表しているのではないかとも思います。

この場合

A’:0.333…→1/3

は正しいですが、

Aは正しくありません。この場合、Bも正しくありませんが、AならばBは正しいままです。

 

どちらでも良いと言えば良いのですが、無限小数の定義があいまいで、正直どちらと捉えていいのかわかりません。

「Aは正しいけど、Bは間違いだよね?」という疑問は、無限小数の定義をAの時、Bの時で変えてしまっていることに原因があります。Aでは前者、Bでは後者の定義で扱っているように思えます。

なぜならば

「1/3は実際に計算したら0.333…」と述べているところため、無限級数を収束した値と捉えており、

反対に「1=0.999…はおかしい」と述べる際には、だいたいの人が、「どんだけ少数第何位まで数えても、1より小さいじゃん!」と言うので、これは級数として扱っていることになるからです。

 

私個人としては、『無限少数は無限級数である』説を推したいです。収束の定義的にはそちらの方がすっきりするのではないかなと思うからです。

ただ、どうせ無限小数は単調増加の有界な数列として表せるので収束しますから、『無限小数は収束先の値を表している』説もわからなくはないです。

 

 

今回はこんな感じで。