手巻きタバコはじめました

こんばんは。

タイトル通り手巻きタバコ始めました、一か月くらい前から。

 

もともとお金がないときとかに巻いてはいたのですが、これからは手巻きをちゃんと楽しんでいきたいなと思っております。

私が日ごろ吸っているのはsweet dublinという銘柄で、はっぱ自体はパイプ用のものです。ブランデーを思わせる甘さと葉っぱ自体の味が上手く重ね合わせられていて、香りがぶ厚いです。入りから抜けまで香りが弱まらないのもいいです。

 

手巻きの良さはリーズナブルさというより、趣味性の高さでしょうか。

美味しく吸うためには葉っぱの管理・巻紙とフィルターの選別が欠かせないなと思う今日この頃。

たとえば、葉っぱは乾燥すると辛みが出てしまいます(湿らせすぎるとカビちゃうのと、個人的には香りが鈍る感じがする)。

巻紙は燃焼速度を葉っぱに合わせないといけないですし、添加物が入りすぎてると髪の味が強くなって不味くなってしまう。

フィルターも強いものだと、香りを損ない、太さも燃焼に影響を及ぼすので考えないといけない。

巻くのも含めてけっこうめんどくさいんですけど、「あ~~盆栽育ててるじいちゃんの気分~~」ってテンションあがります。

ブレンドとかもいつかしてみたい(ガラムの味を再現したい)。

 

たばこ関連で、この前ピースのシガーが出てましたね。紙巻だとピースはよく吸うので買ってみました。リトルシガーに寄せて、ロンピとショートピースの中間で、パンチを無くしたといった味でした。

吸いやすさはあれど、リトルシガーとしては味が薄めで、ショッピの辛さが出てロンピの甘さが消えた平坦な味。抜けくらいしかピースらしさがなかったかな……。

 

手巻きに慣れると紙巻には戻れなくなりそう……。

今後は葉っぱの記事も増えるのかもです。

 

今日はこんな感じで

 

 

うるささと時間

 こんばんは。

 

ブログ一本にして、毎週末に記事を上げていこうと思っていたのだけど、思うところあって記事を書く。

 

SNSをやめた副作用のようなものを感じている話とタイムマネジメントの話。

 

最近のSNSは思い立ったらすぐに投稿して、シェアするという使い方をするものだと思う。mixiやモバゲーやらの日記は違い、ある意味でずっと独り言を続けるようなもの。

 

それを何年もやっていたせいか、SNSをやめてからというもの、自分の頭の中がすごくうるさく感じる。投稿して外に出すことができず、そのまま頭の中に沈殿していく感じ。溜まって残るから、ふとした拍子にまた浮き上がっても来る。

 

これはどうにかしないと、ちょっと頭痛くなりそうだなと思い、ブログの記事にすることにしたのだ。

 

 

話は変わって、タイムマネジメントについて。

 

私は時間管理が苦手だ。そのせいで自己管理も下手だし、生きるのもそこそこ下手。

なんとかしないとなと思い、タイムマネジメントの本を読んでみた。

その本の肝と思われる個所は次の2つだ。

・習慣化

・一本化

これらを行うことで、無駄が省けるというものである。

習慣にすれば、無意識化で行えるようになるのでかかる労力を減らせる。

管理する情報・管理する手段を一本化することで、散逸しないし、混乱もしない。

共に、自己管理に無駄なリソースを割くのをやめましょうということになる。

その例として、一つの外部記憶を使い倒せと書かれていた。スケジュール帳も覚書もすべて一つに。

メモすれば忘れないで済むことを覚える労力は無駄。そのエネルギーを集中すべきことに回せる。

どこにメモをやったのか探す労力も無駄。一つにしておけばすぐに見つかる(なくさないように肌身離さず持っておくのを習慣にする)。

確かに合理的で、私は気が付くと手帳を買っていた。就活の時にも手帳を買ったけど、有用な使い方をしなかった記憶がある。

ああ、そういえば私はメモを取るのが苦手だった。頭の中で整理するから別にいいとも思うのだけど。

「整理してメモを書く」のと「混乱したメモを読んで頭の中で整理する」の、どちらがコストがかかるのだろうか。初期コストは前者だが、長期的に見れば後者の方がトータルでコストがかかるような気がする。

苦手な理由は一つで、何が必要な情報なのかわかってないのだ、おそらく。だからどう整理すればいいのかもわからない。

未来の自分に書置きする気分で書くことにしよう。

 

話はSNSに戻る。

外部記憶うんぬんで、SNSもそれとして機能していた可能性がある。頭の中に残しておく必要のないこと、集中して考える必要のないものを外に出していた。今はそれがないから頭の中がごちゃごちゃしてしまう。しかも、条件反射的に浮かんでくるものばかりで際限がない。

リハビリとして、ブログ以外に紙媒体にでも書きつけた方がよさそう。

 

今日はこんな感じで。

ブログを書くのを習慣にしたいという話

こんばんは。

 

今回は歌詞の和訳記事じゃなくて、普通のブログっぽい記事です。

先日、6年ほど続けていた某SNSをやめた。それから今までのちょっとの間で考えていたことを書き留めておこうと思う。

 

まずは所信表明じゃないけど、これからブログを定期的(週一がベストかな)に更新していこうと思ってます。理由は後程。

 

ここ数日で何を考えていたのかというと、SNSの持つ機能についてだった。

自分がなんでスパッと某SNSをやめようと思ってたのか考え始めた際に、すぐ思い浮かんだ理由が『飽きた』から。

では、なぜ飽きたのか。それはある種の機能をそのSNSが失ったからなのではないかと考えた。

簡単に言うと、(私にとって)SNSは以下の3つの機能を持つツールに思われる。

メッセンジャー機能

②プラットフォーム機能

③オーガナイザー機能

 

他にも機能としてはいろいろあるのかもしれないが、私にとってはこの3つが重要だったように思える。

SNS自体を始めたきかっけ(初めてのSNSはモバゲー)は①の機能だった。そこで既知の友達とやり取りする、キャリアメールの代替物だった。

年を重ね、ネットが普及しインフラ化するにつれて、SNSは②の機能を担うようになってきた。私自身、意図的に②として使用していた。共通の趣味・興味を持つ人間を探すというのが主な目的だったように思う。

②の目的が達成されると、再びそこで出会った人相手のメッセンジャーとして使用される。

この2つの機能は一般的に言われることかもしれない。そして、旧来のSNSに比べ、最新のSNSのほうが①や②の役割をより満足させやすい。悲しいことに。(あと年食って①②がそこそこだるい)

 

また、長文の打ちづらいSNSは③の役割を充足しにくい。

オーガナイザー機能というのは、(適切な言葉が浮かばなかったので)自分で勝手に作ってしまった言葉だけれども、自分の考えを整理・体系化する役割のことを指している。

前に臨床心理を少し勉強した際に、心理療法として、自分の思い(内言)を書きだすことで、悩みを整理するというものを知った。

この療法が有効である理由は、内言(自分の頭の中の独り言)を外に出すことで、気持ちが晴れ、かつ、その内容を外的なものとして確認することができるからだと思っている。療法のSNSがこの機能を担うのは可能かもしれないが、最近のものだと独り言はすぐに流れていくし字数制限もあるので、オーガナイザー機能を担いにくい。

加えて他人の言葉や思考も混ざってくるから、訳が分からないことになる。自己を認識しづらくなってしまうのだ。

 

その点、ブログは③の役割を果たしやすい。

他人に見られることを想定して文章を書いているから外言のようにも見えるが、実はそうではない。社交を意図しはしない範疇で、論理性のみを気にする。そも結果、内言を書きだすだけではなく、整理することも同時並行で行えるということになる。

パーっと書きながら見返して再構築して次の段落を書く。これを繰り返すだけなのだ。

(世間ではよく言語化言語化・見える化見える化と言われているけど、心理的に意味があることなんだろうなとも思う。目的に合わせて整理するとこまで含めての言語化だけど。今回の目的は所信表明の裏付けだからこんなもんでいいでしょう)

 

 

日記を書けばいいと言えばそうなのだ。でも私は字が汚いから自分の字をあまり読みたくない!だからブログを書く(ことにした)。

 

 

ザーッと書いたけど、今日はここまで!週末に適当に書いていけたらいいなと思ってる。