多すぎて散らばった世界

恥ずかしい話、と私の母なら切り出すだろう。私は片付けというものを恐らくしたことがない。

中高生の頃、親元を離れて暮らしていた私の部屋はとてつもなく汚かった。ものが多く、足の踏み場がなかった。

幼いころから部屋の片づけは家族がしていた。自分の部屋にはいつもおもちゃや絵本が散乱しており、おもちゃ箱や本棚は空っぽだった。

朝に親が掃除機をかけるときや、一緒に遊んでくれた兄が部屋をできるときにしまっていたのだと思う。

 

高校生の頃に唯一整理されていたのはCDラックだ。音楽のタイプ分けられ、さらに中でアーティストのアルファベット順にアルバムを並べていた。

人生で私の作った最も整理した何かだと思う。

 

私の思考はとっ散らかっているらしい。順序付けたり、分類したりといった操作は行うけれど、それは細分や推論を広げるためのもので、まとめたり、締めたりするためのものではない。

 

私のノートもとっ散らかっている。大学生までのノートには右の三分の一が補足スペースとして用意されていた。そちらのほうが分量が多く、ページの6割が白いままなんてことがよくあった。

 

私はものを捨てられない。仕事で議論を進める際にパーキングロットというものをホワイトボード上に用意することがある。私はパーキングロットで、人にとっては雑多なごみ箱の中で私は生きてきたのだなと思った。

ものを捨てられない理由は三つある。一つ目は何がごみであるのか認識がうまくできないから。二つ目は私のごみは際限なく膨れ上がるものに見えて怖いから。最後は捨てるという行為がよくわからないから。

 

ゴミ捨てができる人間はすごいと思う。

紙に書く

出張先のホテルの最寄り駅に、無印良品が入っている。

そこで、私は単行本サイズのメモ帳とアルミ製の万年筆を買った。

私はボールペンで文字を書くのが苦手だ。日ごろからミミズのような文字を書く。

ボールペンは書いている時の紙との引っかかりがないから、

ミミズ文字がさらに流れて溶けたようになる。

 

タイピングするのとは違い、紙に文字を書いていると思考がいい具合に遅くなる。

なんだろう、身体からの返しを認識して処理しながら書くからだろうか。

 

出張先で特殊な何か面白いことがあったかといえばそうでもない。

ただ、紙に文字を書くようになっただけ。

あのメモ帳に書かれた言葉は自分の言葉だった。久しぶりに見た。

自分の言葉を失うことへの恐怖はまだあるけれど、

紙に書くことが対症療法になればいいなと思う。

僕の脳は液状化し始めているのかもしれないという妄想

「僕の脳は硬化し始めているのかもしれない」

すごく久しぶりに数学の本を開いた。私が慣れ親しんだ言語だ。

母語である日本語よりも触れていると安心感があり、僕の感覚にしみこみ広がっていく言語だった。かつては。

私はたった5ページすら読むことができなくなっていた。

私がもし、中学生くらいに親に捨てられたとしたら、こんな気持ちになったのかもしれない。親を捨てたのは私だけど。

私の中の世界は社会にビジネス用語にぐるぐる回されて溶けてしまったのかも。

私の脳は液状化してしまった。

どろどろになって排水溝に流れ込み、海まで行って雲になる。

そして、雨となり私のもとに降り注ぐ。私は口を開けて受け止めようとするけど、苦みしかない。